「成年後見制度って、せいねんこうけんせいど…ですよね?」と口にしたとき、 読み方は合っているのに、意味のほうが曖昧だったことに気づきました。
認知症や知的障がいなどで判断能力が不十分な人に対して、 代わりに契約や財産管理をしてくれる人を家庭裁判所が選ぶ── そういう制度だと説明されました。
でも、「後見人がつくことで守られる」って言われても、 その“守られる”の中身が、うまく想像できませんでした。
契約を代わりにしてくれること。 不利益な契約を取り消してくれること。 それは制度としてはありがたいことのはずなのに、 どこか“本人の意思が置いてきぼり”になっているような気もして。
「後見」という語が、“後ろから見守る”というより、 “前に出て代わってしまう”ような印象を持ってしまった日でした。
読み方は「せいねんこうけんせいど」で合っているのに、 意味のほうはまだ、自分の中で整理しきれていない感じが残っています。
今日は、「読めるけど語れない制度」に立ち止まった記録です。

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