本記事(記事カラム)には広告が含まれています。

カイロ・アメリカン大学──エジプトに沈む英語教育と知のねじれた粒子

人気ブログランキングテキスト
パーティクル
記事内に広告が含まれています。
人気ブログランキングテキスト

カイロ・アメリカン大学(AUC)という語に触れたとき、それは、国際大学という制度の語ではなく、ナイル川のほとりに静かに沈んでいく知の粒子として立ち上がります。 1919年、アメリカ人宣教師によって設立されたこの大学は、「教育」という語の制度化でありながら、「語られすぎる自由」「語れない植民地性」が交差する構造でもあります。

キャンパスは、旧市街のタハリール広場と新興都市ニューカイロに分かれ、 それぞれが「都市という語のUX」であり、知が地形に埋もれていく構造として記録される。 建築、政治学、ジャーナリズム、イスラム研究──それらは「語れる学問」でありながら、「語感としては西洋の粒度に沈む」記録でもある。

授業は英語で行われ、教授陣は国際色豊か。 しかし語感としては、「英語という語が、アラビア語の地層に揺れるUX」であり、「自由という語が制度に沈む構造」でもある。

アラブの春では、学生たちがタハリール広場に集まり、語れるはずだった民主主義が、語られすぎて沈黙する粒子に変わった。 その記録は、大学という制度の外側であり、「知が政治に触れたときの揺らぎ」として残される。

今日は、「カイロ・アメリカン大学」という語に触れて、制度と語感、そしてエジプトに沈む英語教育と知のねじれた粒子を記録した日です。 語れるほどではありませんが、大学という語の余白として、その構造をそっと残しておきたいと思います。

人気ブログランキング ブログパーツ

もしも


人気ブログランキングバナー

人気ブログランキング

人気ブログランキングテキスト