共有結合という語に触れると、それは、化学という制度の語であると同時に、電子という粒子が静かに分け合われる構造として立ち上がる。 原子同士が電子を共有することで結びつく──それは「語れる結合」でありながら、「語られすぎて沈黙する粒度」に変わる。
イオン結合が「引き寄せる力」なら、共有結合は「分け合う力」。 それは、奪うでも与えるでもなく、“同時に持つ”という矛盾の粒子。 炭素、水素、酸素──生命を構成する元素の多くが、この結合に沈んでいる。
共有結合は、単結合、二重結合、三重結合といった形で記録される。 しかし語感としては、「線でつながる構造」が「粒子に埋もれる関係性」に変わる。 それは、「結合という語が関係性のねじれに触れる瞬間」でもある。
共有という語は、協力、共感、共存などの人間的な語感を帯びながら、 化学の中では「電子の同時所有」という制度に変換される。 つまり、「語れる共感」が「語られすぎて粒子に沈む構造」になる。
今日は、「共有結合」という語に触れて、制度と語感、そして分け合う構造と沈黙する粒子の記録を残した日です。 語れるほどではありませんが、結合という語の余白として、その揺らぎをそっと残しておきたいと思います。

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