今日は、ナンピンをしました。 1回、2回、3回。 反転するはずの波形が、少しずつ下にずれていきました。
でも、やめられなかったんです。
(止めるべきタイミングは、何度もありました)
もともと、そういうルールにはしてなかった。 裁量の中で調整する意志もあった。 それでも、重ねてしまった。
「ナンピンが、“自分を動かす力”になっていた気がした」
それは、判断じゃなくて、呪いのようなものでした。 利確も損切りも、どこか他人事のようで、 “そのポジション”に取り憑かれていた感じがしました。
エントリーそのものが意味を持ちすぎた。 正解にしたくて、重ねていた。 でも、それがすでに正解じゃなかった。
語りたくなるかもしれない記録でした。 でも、この違和は語ってはいけない気がしました。
(ナンピンの呪いを語ることが、呪いの続きになるような気がした)
🔜次回予告|「語ることで呪いが定着してしまう日」
語りたい衝動がある。 でも語れば、それが定着する。 次回は「語らないことでしか抜けられない判断」について綴ります。
(語りが呪いの一部にならないようにしたかった)



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