釧路湿原には、生きものがいます。 それは、見えるものもあれば、見えないものもあります。 風の音に混じって聞こえる羽ばたきや、草の間をすり抜ける気配のようなもの。 それらが、湿原の空気を少しだけ濃くしているように感じます。
タンチョウの鳴き声は、遠くからでも届きます。 その声が、どこから来て、どこへ向かっているのかは、よくわかりません。 ただ、湿原の空に響いているということだけが、確かです。
キタサンショウウオは、見つけようと思っても、なかなか見つかりません。 でも、いるかもしれないという気配が、湿原の静けさを支えているようにも思えます。 その存在は、記録されることよりも、記憶に残ることのほうが多いのかもしれません。
イトウは、釧路川の流れの中にいるとされています。 けれど、その姿を見た人は少なく、語られることのほうが多いようです。 “いるかもしれない”という余白が、この湿原の深さをつくっているのかもしれません。
昆虫たちは、音にならない音を持っています。 ミズゴケの上を歩く足音、羽の震え、湿原の呼吸のようなもの。 それらは、記録には残らないけれど、確かにそこにあるような気がします。
釧路湿原は、生きものの数を数える場所ではないのかもしれません。 それは、気配だけが残るような場所であり、 見えないものを見ようとする時間が、記憶になる場所なのかもしれません。

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