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「老人の徘徊」という言葉に立ち止まった日──“歩いているだけなのに、徘徊と呼ばれる”という語感の記録

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介護に関する資料を読んでいると、「認知症高齢者の徘徊」や「徘徊対策サービス」という語句に出会うことがあります。 そのとき、私はふと「徘徊」という語に違和感を覚えました。

歩き回っている、場所をよく分からずに移動してしまう──そうした状況は確かにあるのかもしれません。 でも、「徘徊」という語には、“目的もなく不規則に動く”という否定的な印象が強く含まれているように感じます。 しかも「老人の徘徊」と記述されることで、ただ歩いているという行動までも“迷惑”や“予測不能”とラベル付けされてしまうような感覚になりました。

「歩いていた理由」は、その本人の記憶や習慣、場所の感覚によって様々な背景があるはずです。 それを「徘徊」とひとくくりにしてしまうことで、個々の事情や意味が“語の枠”に収まらなくなってしまう。 私はその語が、行動そのものに対してだけでなく、人としての存在までラベリングしてしまっているように感じました。

今日は、「老人の徘徊」という言葉が持つ語感に立ち止まり、 制度や介護の対策文書の中で“現象として整理されている語”に対して、 生活者の視線では違う言葉が必要なのではないかと感じた記録を残します。

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