福祉制度の説明文や介護事業者向け通知に登場する「介護報酬」という語に出会ったとき、私はある違和感に立ち止まりました。 介護報酬──それは介護サービスを提供した事業者が、保険制度から受け取る対価であるという。制度上は“業務に対する報酬”であり、医療報酬と同様の構造で並ぶ語。
でもこの語が持っている“報酬”という響きに、どこか生活者としての実感とのズレがある。 たとえば「報酬が高い・低い」と語られるとき、それはどのような価値が測られているのか。 利用者から見た「良い介護」の評価ではなく、制度内の配置や点数が“報酬の額”を決めている──そのことに、一種の温度差を感じました。
さらに、「報酬」という語がサービス提供者の側の言葉であることも、語感の偏りにつながっているように思います。 介護が「生活の継続の支援」であるならば、そこに発生する価値は、提供側だけではなく、受け手の生活にも刻まれているはずです。 でも「介護報酬」という語は、それを語らない。制度文では、“サービス提供の点数として記録されるもの”だけが報酬化される。 その結果、「生活の価値」は点数に置き換わらず、“制度に記録されないまま”になってしまう。
今日は、「介護報酬」という語の構造が、制度の中で“誰の側の視点から語られているか”に立ち止まり、 そこから見えてくる“生活が制度に記録されるか・されないか”の語感のずれを記録しておきたいと思います。

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