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「地域包括ケアシステム」という語に立ち止まった日──“地域でなんでもケアできる”ような期待を生む構造だった記録

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ある計画書に「地域包括ケアシステムの構築に向けて…」と書かれていました。 それを読んだとき、私は「地域包括ケアシステム」という語に、 なんでも支えてもらえるような、万能なケアの仕組みとしての期待を抱いてしまい、少し立ち止まりました。

この語は、「地域」「包括」「ケア」「システム」という4つの語で構成されています。 それぞれ意味はあるのですが、並んだ瞬間に全体像がつかみにくくなってしまいます。

制度上では、住み慣れた地域において、医療・介護・住まい・生活支援・介護予防などが一体的に提供される仕組みとされています。 しかし語感としては、“地域が包括的にケアしてくれる理想的なシステム”として受け取ってしまい、 実際にはその地域でどのような支援が展開されているのか、誰がケアを担っているのか、といった具体的な姿が見えづらく感じました。

この語は構造語であるはずですが、語り口としては“安心につながる語”として響いていたように思います。 そして、「ケア」という語が制度文の中でこのように“仕組みの一部”として並んでしまうと、 「ケア=生活の中での繋がり」という感覚と、「ケア=分担された業務」のような制度的な印象の間に、距離が生じてしまいます。

今日は、「地域包括ケアシステム」という語が、制度の理想像と生活の実感のあいだで浮いていたこと、 語の構造が制度文の中で整理されるほどに、生活者の期待や語感が過剰に引き寄せられてしまっていたことに気づいた記録です。

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