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「要介護認定」という語に立ち止まった日──“認定”されることの生活語との距離感

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「要介護認定」。 この語を初めて耳にしたとき、私はどこか警戒するような印象を持ちました。

「認定される」──それは制度にとっては当たり前の構造だけど、 生活の中では「何かが認定された」という出来事は、そう頻繁には起こりません。

制度上は、介護保険サービスを受けるには、「要介護認定」を受ける必要があるとされています。 市区町村に申請し、訪問調査と主治医意見書によって、介護の必要度を判定され、 その結果として「要支援」または「要介護」の区分が付される── これが制度的な流れです。

でも、私がこの語に感じたのは、 「要介護」と「認定」がくっついて使われていることで、 まるで“制度に判定されてしまうこと”が決定事項であるかのような、 語感としての硬さと閉じられた印象でした。

「私の生活の困りごとが“認定されるかどうか”で決まるの?」という感覚が、 どこか自分の状況よりも制度側の視線で語られているように感じられたのです。

今日は、「要介護認定」という語の語感に立ち止まり、 “自分の生活の困難さ”が“制度文の評価用語”に置き換えられる瞬間に違和を覚えた日として記録します。

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