XMLという名前を見たとき、何かがきちんと整えられているような気がします。
けれど、それが何を整えているのかは、まだ曖昧です。タグで囲むという行為は、意味を与えるようでいて、ただの記号の並びにも見えてきます。閉じることが求められるその設計には、自由のようでいて、どこか硬直した気配が漂っています。
拡張可能という言葉には、定義されていない余白が含まれているように感じます。何を拡張するのか、どこまで許されるのか、その境界ははっきりしていません。
タグは自由に設計できると言われますが、その自由さは、構造の粒度に縛られているようにも思えます。意味を持たせるために閉じる。閉じることで意味が残る。けれど、残された意味が誰かに届くかどうかは、また別の話です。
XMLは、何かを記述するための言語だとされています。けれど、その記述は、語感になる前の粒子のようなものです。親子関係、属性、入れ子──それらは、構造の気配として漂っているだけで、まだ語りかけてはきません。意味になる前の揺らぎが、そこにはあるように感じます。
名前の中にある「X」は、拡張性の気配を含んでいます。「ML」は、構造の記号です。その組み合わせが、意味を持つ前の語感として、静かに漂っているように思えます。似ているようで違う。閉じることで整うが、整えすぎると跳ねなくなる。その境界線に、XMLという語感設計が息づいているような気がします。

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