「自民党は誰に操られているのか」という語に触れたとき、 それは政権与党としての制度的な整いと、 “誰が本当に動かしているのか”という語られなさが同居する言葉として立ち上がってきました。
制度としては、総裁・幹事長・政調会長・派閥・官僚・業界団体── 「民主的な意思決定」と「政策の専門性」が並びます。 しかし語感としては、“操られている”という違和感が沈んでいます。
たとえば、旧安倍派(清和会)や岸田派(宏池会)などの派閥構造。 政治資金パーティーによる裏金問題、 業界団体との政策調整、 そして官僚との“忖度”の連携。 それらは、制度の説明では届かない“誰が動かしているのか”の語感です。
最近では、石破政権の誕生により、旧主流派の影響力が低下し、 若手・無派閥議員の台頭が進んでいる。 しかしその一方で、茂木派・二階派などの実務派が水面下で動き続け、 “操る構造”は依然として沈んでいます。
「操る」という語は、もともと“技術的に動かす”という意味でした。 しかし今では、“誰が裏で動かしているのか”という不透明さの語感に変質しています。 それは、制度の整いでは語れない“語られたくない構造”です。
今日は、「自民党は誰に操られているのか」という語に触れて、 制度の整いと“語られなさ”の揺らぎを記録した日です。 語れるほどではないけれど、 “語られたくない違和感”として、その沈黙を残しておきたいと思います。
HR