「地上波でも放送された」という言い方がずっと気持ち悪い
政治ニュースや政治家の発言で、 「地上波でも放送された」 という言い方がよく出てきます。
でも正直、私はこれを聞くたびに思います。
地上波で放送されたから何なのか。
この言い方には、 「地上波=社会的に重要なメディア」 という前提が透けて見えます。
その前提が、どうにも気持ち悪いです。
そもそも“地上波”って技術用語なんだよね
まず冷静に言うと、 地上波は本来、技術用語です。
- 地上の送信所から出る電波
- UHF帯を使う
- 衛星を使わない
- 直接波・反射波・回折波で届く
これが“地上波”の本来の意味です。
つまり、 ただの電波の分類です。
そこに社会的権威なんて一切ありません。
でも政治文脈では“地上波=権威”として扱われる
ところが政治の世界では、 地上波という言葉がまったく別の意味で使われます。
- 地上波=NHK・民放キー局
- 地上波=無料で誰でも見られる
- 地上波=国民的メディア
- 地上波=大衆に届く情報
つまり、 地上波=社会的に重要な情報を扱う場 という“象徴”として使われています。
だから政治家はこう言います。
- 「地上波が報じないのは偏向だ」
- 「地上波でも取り上げられた」
- 「地上波で放送されたから大事な問題だ」
いやいや、 地上波はただの電波方式です、とツッコミたくなります。
地上波で放送されたから重要、という空気が気持ち悪い
私が一番嫌なのはこれです。
地上波で放送された=重要な問題 という空気です。
地上波は万能ではありませんし、 偏向もしますし、 編集もしますし、 政治的圧力も受けます。
なのに、 「地上波で放送された」というだけで 情報の価値が底上げされる感じがあります。
これが気持ち悪いです。
地上波という言葉の“二重構造”が混乱を生む
地上波という言葉は、 技術用語とメディア用語の二重構造になっています。
● 技術用語 地上波=地上の送信所からの電波
● メディア用語 地上波=NHK・民放の無料テレビ
この2つが同じ言葉で語られるから、 政治文脈での「地上波」が妙に権威づけされます。
まとめ

政治ニュースで 「地上波でも放送された」 と言われても、私はこう思います。
だから何なのか。
地上波はただの電波方式であって、 情報の価値を保証するものではありません。
地上波という言葉が持つ“権威性”は、 本来の意味から完全に乖離しています。



HR