「プロ市民」という言葉を聞いたとき、最初は意味が曖昧でした。 市民活動をする人を指すのか、批判的に使われるレッテルなのか。 どちらにしても、語尾が肩書きになってしまった瞬間を感じます。
デモや集会で声を上げる人たち。 「市民」としての行動なのに、そこに「プロ」という語尾が付くと、 まるで職業のように響いてしまう。 その響きは、活動の真剣さを伝えるよりも、揶揄の温度を帯びてしまいます。
「プロ市民」と呼ばれる人たちは、 環境問題や平和運動など、社会の課題に声を上げてきました。 けれど、その呼び方が広がるにつれて、 活動そのものよりも「肩書きの語尾」が先に記憶されてしまう。
語尾が肩書きになるとき、意味は薄れます。 「市民活動をしている人」ではなく、「プロ市民」という構文だけが残る。 それは、活動の中身よりも、言葉の粒度が強調されてしまった記録です。
今日は、「プロ市民」という言葉を聞いて、 活動の意味よりも語尾の肩書きに意識が向いてしまった日。 社会を動かす声が、構文の中で揶揄に変わる瞬間を見た気がしました。
HR