排他的論理和という言葉を初めて聞いたとき、「なんだか冷たい響きだな」と思いました。 論理回路の世界では「XOR」と呼ばれ、「どちらか一方が真なら、結果も真になる」という仕組みです。 両方が真だと、逆に偽になる。 そのルールは合理的で、整っていて、でもどこか人間の感情とは噛み合わないような気がしました。
今日、ひとつの選択をしました。 AかBか、どちらかを選ぶ場面で、私はAを選びました。 それは、迷いながらも決めた選択で、「これでよかった」と思ったはずでした。 でも、時間が経つにつれて、Bのことが頭をよぎるようになりました。 「やっぱりBだったかもしれない」 そんな気持ちが、じわじわと膨らんできて、選んだはずのAが、少しずつ遠くなっていくような感覚がありました。
排他的論理和は、「どちらか一方だけが真であるときに、真になる」。 でも、今日の私は、どちらも真に感じていて、どちらも偽になってしまったような気がします。 選んだはずなのに、選びきれていない。 決めたはずなのに、決まっていない。 そんな揺らぎの中に、自分の体温が置いてけぼりになっているような感覚が残りました。
論理の世界では、XORは便利な演算です。 でも、感情の世界では、選択のあとに残る余白が、いつも少しだけ重たく感じます。 今日は、排他的論理和のような選択をしたはずなのに、気持ちが反転しなかった日。 その記録だけ、残しておこうと思いました。

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