移民問題が世界的に注目を集めています。 この問題がなかなか収束しない背景には、「多文化共生」という言葉が原因なのではと考えるようになりました。 本稿では、その視点から考察を試みます。
共生と言えばポストが生まれる
地域で起きているのは文化摩擦であり、制度の中で起きているのは肩書の量産です。 「共生が必要だ」と言えば、誰かが予算付きの役割を得ます。実際に共生しているかどうかは問題にされません。
支援と言えば予算が動く
行政が語る「支援」は、住民のためではなく制度維持者のための口実です。 補助金、委託事業、研修費──すべてが「正しい言葉」を根拠に動いています。
文化尊重と言えば衝突が隠される
宗教、ジェンダー、生活習慣が地域のルールとぶつかっても、「文化を尊重する」という言葉で放置されます。 現場の衝突は語られず、制度の“優しさ”だけが演出されます。
言葉が人を利権化する
制度は言葉で人を動かし、言葉で人を利権化します。 「共生」「支援」「尊重」──この3語を繰り返すだけで、制度は正当化され、ポストは増え、予算は動きます。
結論:言葉が腐敗を生む

制度が悪いのではなく、言葉の使い方が悪いのです。 言葉が利権を生み、倫理を破壊し、人間を利権化します。 「多文化共生」という言葉が使われる限り、制度は腐り続けます。

HR