バリアフリーという言葉は、どこか優しい響きを持っています。 段差をなくす、手すりをつける、通りやすくする。 そうした“形のある配慮”を思い浮かべる人が多いと思います。
けれど、本当のバリアフリーは、 目に見えるものだけではないのだと感じます。
誰かが困っているとき、 その困りごとが“見えないまま”になっていることがあります。 段差は目に見えますが、 心の負担や、言い出しにくさや、 周囲の空気に合わせてしまう気持ちは、 外からは見えません。
バリアフリーとは、 そうした“見えない段差”に気づこうとする姿勢そのものだと思います。
たとえば、 少しだけ歩くのが遅い人がいるとき、 そのペースに合わせて歩くこと。 重い荷物を持っている人に、 自然に手を差し伸べること。 言葉にしづらい不安を抱えている人に、 急かさず耳を傾けること。
それらはどれも、 制度や設備ではなく、 人の心がつくるバリアフリーです。
社会が便利になっても、 人の心が急ぎすぎてしまえば、 見えない段差は増えていきます。 逆に、設備が整っていなくても、 誰かがそっと気づいてくれるだけで、 段差は消えていきます。
バリアフリーとは、 優しさのことではなく、 「気づこうとする意志」 のことなのだと思います。
見える段差をなくすのは工事ですが、 見えない段差をなくすのは、 いつだって人のまなざしです。
HR