カイロ大学という語に触れたとき、それは、大学という制度の語ではなく、ギーザの街に静かに沈んでいく構造として立ち上がります。
ナイル川の西岸、アラビア語の看板、門の奥に広がる講義棟──それらは知の粒子でありながら、語れるほどの制度ではなく、語られないまま通過される記憶のように感じられます。
卒業という語も、証書という語も、制度の中で語られるはずなのに、どこか揺らいでいて、語感としては「残響」「沈黙」「記録されない粒子」として浮かびます。
日本語学科があることも、誰かが通ったことも、制度の記録というより、地形に埋もれた語感のように響きます。
今日は、「カイロ大学」という語に触れて、語れるほどではないが、語られない知として、その余白をそっと残しておきたいと思います。
カイロ大学──語れない知とアラビア語に包まれた構造
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HR