今日は、いくつかのポジションを持ちました。 記録を取るには十分な回数。 損益もそれなりに動きました。
でも、どこかで 「自分が判断しているはずの損切りなのに、操られていたような気がした」んです。
損切りラインは、決めてありました。 EAにも反映させていました。 裁量でも、同じ位置で止めるつもりでした。
でも、今日は──その損切りが、先に動いていた。
自分の意思よりも、損切りのタイミングが先にやってくる。 それに合わせて、記録も、感情も、あとから追いついていく。
「これは、本当に自分の判断だったのか?」
──ポジションを取ったのは自分のはず。 でも、損切りは“誰かの手順”に従っただけのようだった。 EAだったのか、自分の記録だったのか、それとも何か別のものだったのか。
判断をした気になっているだけで、 操られていたのかもしれません。
(損切りに語られていた自分に、気づいた日)
🔜次回予告|「語り手が判断を失っていた記録」
意思があるように見えた記録。 でも、語り手は操作されていただけだった。 次回は「語れると思っていた自分が語られていた違和」について綴ります。
(判断が語り手ではなかった日)

HR