最近、「オールドメディアで報道されないのはおかしい」という声をよく耳にします。 テレビや新聞が取り上げない話題に対して、不信感や怒りを示す人も少なくありません。
かつては、テレビや新聞が“情報の中心”であり、 報道される内容は「正しいもの」として扱われてきました。 その影響力は絶大で、ある種の“特権的な立場”がありました。
しかし、時代が進むにつれて、 報じられる情報と報じられない情報の差が妙に偏って見える瞬間が増えてきました。 その違和感が、「腐敗」という言葉を連想させるのかもしれません。
とはいえ、私はそこまで強く反応する必要はないのではないかと思っています。 怒りを向けるよりも、情報そのものの性質を見極めることの方が大切だからです。
報道される・されないは、正しさの基準ではない
テレビや新聞は長い間、情報の“正門”として扱われてきました。 しかし、その門がいつの間にか 特定の方向にだけ開きやすくなっているように見える場面があります。
もちろん、メディアにも事情があります。
- 扱える情報量に限りがある
- 編集方針やスポンサーの影響を受ける
- リスク管理を優先する
- 企業としての立場を守る必要がある
こうした事情が積み重なると、 「なぜこれを報じないのか」という疑問が生まれやすくなります。 そしてその疑問が積み重なると、 “報じない理由が別にあるのでは”という勘ぐりを呼びやすくなるのも事実です。
情報源の性質を見極めることの方が重要
「報道されないのはおかしい」と怒るよりも、 その情報がどこから来ているのか どういう背景で発信されているのか を冷静に見る方が、結果的に自分を守ることにつながります。
- 発信者は誰か
- 専門性はあるのか
- 過去の発信内容は信頼できるか
- 根拠は示されているか
- 感情を煽るだけの内容になっていないか
こうした点を確認するだけで、情報の質は大きく変わって見えます。
情報との距離感を保つ

オールドメディアがかつて持っていた“絶対的な信頼”は、 今では少しずつ揺らいでいます。 その揺らぎの背景に、 構造的な偏りや、長年積み重なったしがらみのようなものを感じる人がいても不思議ではありません。
ただ、ここで私が不思議に思うのは、 オールドメディアにものすごく文句を言いながら、同時に強く期待している人が多いことです。 「腐っている」「偏っている」と言いながら、 結局はテレビや新聞が取り上げるかどうかを基準にしてしまう。
私にとっては、それがとても不思議です。 そんなに文句があるなら、 見なければいいのにと思います。 情報源はいくらでもある時代なのですから。

HR